一人でやってきた事業が回り始めて、初めて人を雇う。うれしい局面のはずが、調べ始めると手が止まります。
給与から何を引くのか。どこに何をいつ出すのか。保険はいつから入るのか。提出先が税務署だけではないところが、いちばんの混乱の原因です。
先に全体像を言います。関係する役所は4つ。税務署(源泉徴収)、労働基準監督署(労災保険)、ハローワーク(雇用保険)、年金事務所(健康保険・厚生年金)。このうち個人事業主なら年金事務所は不要なことが多い——ここまで分かれば、あとは順番の話になります。
この記事の結論
– 一人でも雇えば労災保険は必ず加入(労働基準監督署へ、10日以内)
– 雇用保険は「週20時間以上かつ31日以上の見込み」の人だけハローワークへ
– 健康保険・厚生年金は、個人事業所なら「常時5人以上」の法定業種で強制。それ未満は任意
– 税務署へは給与支払事務所等の開設届出書(1か月以内)
– 給与が10人未満なら納期の特例で源泉所得税の納付は年2回にできる
– 本人から扶養控除等申告書をもらわないと、源泉徴収は高いほうの「乙欄」になる
– 「業務委託にすれば手続きが不要」ではない。実態で判断される
| 時期 | やること | 提出先 |
|---|---|---|
| 雇う前 | 労働条件通知書を作って渡す(賃金・労働時間・契約期間などを明示) | 本人へ |
| 雇う前〜初回給与前日まで | 給与所得者の扶養控除等(異動)申告書を書いてもらう | 自分で保管(提出不要) |
| 雇用開始から10日以内 | 保険関係成立届(労災保険) | 労働基準監督署 |
| 雇用開始から10日以内 | 雇用保険適用事業所設置届+被保険者資格取得届(対象者がいる場合) | ハローワーク |
| 保険関係成立から50日以内 | 概算保険料申告書と保険料の納付 | 労働基準監督署ほか |
| 開設から1か月以内 | 給与支払事務所等の開設届出書 | 税務署 |
| 必要に応じて | 源泉所得税の納期の特例の承認に関する申請書 | 税務署 |
| 該当する場合 | 新規適用届(健康保険・厚生年金) | 年金事務所 |
| 毎月(または年2回) | 源泉所得税の納付(原則は翌月10日まで) | 税務署 |
| 毎年6月1日〜7月10日 | 労働保険の年度更新(前年度の精算と当年度の概算) | 労働基準監督署ほか |
| 年末〜1月31日 | 年末調整/源泉徴収票/給与支払報告書/法定調書合計表 | 本人・市区町村・税務署 |
「10日以内」が2つ並ぶので、雇ったらまず労基署とハローワーク、税務署は少し余裕がある、と覚えると動きやすいです。
個人事業主が人を雇って給与を払い始めると、源泉徴収義務者になります。給与から所得税を天引きして、本人の代わりに国へ納める立場です(源泉徴収ってなに?)。
そこで出すのが給与支払事務所等の開設届出書(所得税法230条)。開設の日から1か月以内に、事業所の所在地を所轄する税務署へ提出します。
なお、開業届の「給与等の支払の状況」欄に記入して提出済みであれば、あらためて開設届を出す必要がない場合があります。開業時に将来の雇用を見込んで書いていたなら、税務署に確認してください(開業届の提出方法)。
原則、源泉徴収した所得税は支払った月の翌月10日までに納めます。毎月です。
ただし給与の支給人員が常時10人未満なら、「源泉所得税の納期の特例の承認に関する申請書」を出すことで年2回にまとめられます。
| 対象期間 | 納期限 |
|---|---|
| 1月〜6月に支払った分 | 7月10日 |
| 7月〜12月に支払った分 | 翌年1月20日 |
申請書を出した月の翌月末日までに税務署から通知がなければ承認されたものとされ、その翌月支払い分から適用されます。手続きの回数が年12回から2回になるので、少人数なら基本的に申請しておくべきものです。
ただし注意が2つ。ひとつは、まとめた分の金額が大きくなること。半年分の預り金を使ってしまわないよう、口座を分けるか残しておくこと。もうひとつは、この特例の対象は給与・退職手当・税理士等の報酬に限られることです。デザイン料や原稿料の源泉は対象外で、原則どおり翌月10日納付になります。
給与から引く所得税は、国税庁の源泉徴収税額表を使って決めます。ここで効くのが扶養控除等申告書です。
| 状況 | 使う欄 | 税額 |
|---|---|---|
| 扶養控除等申告書を提出している | 甲欄 | 低い。扶養親族の数で変わる。一定額未満なら0円の区分がある |
| 提出していない(掛け持ちの他社に出しているなど) | 乙欄 | 高い。少額でも税額が出る |
申告書は税務署に提出せず、事業主が保管します(7年)。パート・アルバイトでも、最初の給与を払う日の前日までに書いてもらってください。もらい忘れると乙欄で計算することになり、本人の手取りが減ります。
「いくらまでなら税額0円か」は税額表の区分で決まっており、改正で動きます。その年の税額表(国税庁サイトで毎年公表)で必ず確認してください。
ここが個人事業主のいちばんの盲点です。
労災保険は、労働者を一人でも雇えば加入が義務です。アルバイトでも、週1日でも、学生でも、外国人でも同じです。保険料は全額が事業主負担で、業種ごとの料率を賃金総額に掛けて計算します。
雇用保険は対象者が限られます。
| 保険 | 加入対象 | 保険料 | 窓口 |
|---|---|---|---|
| 労災保険 | 労働者全員(雇えば必ず) | 全額事業主負担 | 労働基準監督署 |
| 雇用保険 | 週の所定労働時間20時間以上かつ31日以上の雇用見込み | 労使で負担(率は業種別) | ハローワーク |
手続きは、労基署に保険関係成立届(成立の翌日から10日以内)と概算保険料申告書(50日以内)。雇用保険の対象者がいれば、ハローワークに適用事業所設置届(10日以内)と被保険者資格取得届(資格取得日の属する月の翌月10日まで)です。
そして毎年6月1日〜7月10日の年度更新。前年度の確定精算と当年度の概算をまとめて申告・納付します。これは「一度入れば終わり」ではなく毎年来る作業なので、カレンダーに入れてください。
なお、事業主本人と生計を一にする親族は原則として労働者に当たらず、労災の対象外です(特別加入という別制度はあります)。
健康保険・厚生年金は、法人ならば社長一人でも強制加入ですが、個人事業所は扱いが違います。
そしてもうひとつ大事な点。事業主本人は、個人事業所の健康保険・厚生年金には加入できません。従業員が加入しても、事業主は国民健康保険・国民年金のままです(独立したら健康保険はどうする?)。この非対称は法人化を検討する動機のひとつになります。
強制適用に当たらないなら、従業員は自分で国民健康保険・国民年金に入るか、家族の扶養に入ります。
配偶者や親族に働いてもらって給与を払う場合、他人の従業員とは制度がまったく違います。
| 従業員(他人) | 生計を一にする親族 | |
|---|---|---|
| 経費にする方法 | 給与賃金(そのまま経費) | 青色事業専従者給与(届出が必要)/白色は事業専従者控除 |
| 事前の届出 | 不要 | 青色事業専従者給与に関する届出書が必要 |
| 労災・雇用保険 | 対象 | 原則対象外 |
| 配偶者控除 | 関係なし | 1円でも払うと配偶者控除が使えなくなる |
| 決算書の記載欄 | 「給与賃金の内訳」 | 「専従者給与の内訳」 |
親族に払う場合は、先に配偶者を青色事業専従者にすべき?を確認してください。届出を出さずに払っても、経費になりません。
手続きの多さを見て、「雇用ではなく外注(業務委託)にすればいいのでは」と考える人がいます。ここは慎重に。
給与か外注かは、契約書の名前ではなく実態で判断されます。
| 見られる点 | 給与と判断されやすい | 外注と判断されやすい |
|---|---|---|
| 指揮命令 | 作業の進め方を細かく指示している | 方法は相手の裁量 |
| 時間拘束 | 勤務時間・場所が決まっている | 納期だけを決めている |
| 代替性 | 本人が行わなければならない | 他人に再委託できる |
| 材料・道具 | こちらが用意している | 相手が用意している |
| 報酬の性格 | 時間単位で払っている | 成果物・出来高に対して払っている |
外注として処理していたものが給与と判断されると、源泉徴収漏れとして本税・不納付加算税・延滞税を事業主が負担することになります。さらに消費税でも、外注費なら仕入税額控除の対象ですが給与なら対象外なので、消費税の納税額も増えます。
なお、外注であっても原稿料・デザイン料・講演料など、所得税法204条に挙げられた報酬を個人に払う場合は源泉徴収が必要です。「外注だから源泉は関係ない」も誤りです(請求書の書き方はライター・デザイナーの請求書、源泉徴収は「引いて」書く?)。
12月になったら年末調整です。従業員の1年分の給与と源泉徴収税額を精算し、扶養や保険料控除を反映して過不足を調整します。
そして1月31日までに3つ。
給与支払報告書は忘れやすい書類です。これを出さないと従業員の住民税が正しく計算されず、後から本人に迷惑がかかります。
Q. 週1日・月3万円のアルバイトでも手続きは必要ですか。
労災保険は必要です。雇用保険は週20時間未満なら対象外。源泉徴収は扶養控除等申告書を出してもらったうえで税額表の甲欄で判定し、税額0円の区分に入るなら天引きはありません(それでも給与支払事務所等の開設届出書と年末の給与支払報告書は必要です)。
Q. 家族以外を雇うのは初めてです。何から手をつければいいですか。
①労働条件通知書を渡す ②扶養控除等申告書をもらう ③労基署で保険関係成立届 ——この3つを最初の10日で。税務署の届出はそのあとで間に合います。
Q. 源泉徴収を忘れて、手取りを満額渡してしまいました。
源泉徴収義務は事業主にあります。本人から返してもらうか、次回以降の給与で調整して納付します。納付が遅れると不納付加算税(納付が遅れた税額の一定割合)がかかるので、気づいた時点ですぐ納めてください。
Q. 通勤手当は源泉徴収の対象ですか。
公共交通機関の通勤手当は月15万円まで非課税です。マイカー通勤は距離に応じた非課税限度額があります。非課税分は源泉徴収の計算に含めませんが、労働保険の賃金総額には含めます。ここは制度ごとに扱いが違うので注意してください。
Q. 従業員が1人辞めました。何かしますか。
雇用保険に入っていたなら資格喪失届と離職証明書をハローワークへ。年の途中で辞めた人には源泉徴収票を交付します。年末調整は行いません(本人が確定申告するか、次の勤務先で調整されます)。
Q. 給与計算は自分でできますか。
少人数なら、給与計算に対応した会計ソフトで十分回せます。ただし保険料率と税額表は毎年変わるので、ソフトの更新を放置しないこと。人数が増えたり就業規則が必要になったりしたら、社会保険労務士に相談する段階です。
Q. 法人化したら手続きはどう変わりますか。
最大の違いは、健康保険・厚生年金が代表者一人でも強制適用になることです。従業員がいなくても社会保険の手続きが発生し、保険料は労使折半で会社負担が生まれます。法人化の判断では、この社会保険コストが決定的に効きます。
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