法人にすると、経費の範囲はどこまで広がるのか──個人事業主のままでは使えない7つの箱
個人事業主の節税は、ある地点で頭打ちになります。青色申告特別控除を取り切り、家事按分を入れ、所得控除を潰し、共済にも入った。それでも税率が上がり続ける。
このとき何が起きているかというと、使える箱が全部埋まっているのです。個人事業には、もともと箱の数が限られています。
法人にすると、箱そのものが増えます。税率が下がるからではありません。自分に給与を払えるようになるからです。ここから7つの箱が派生します。
この記事の結論
- 法人化で変わる根っこは1つ。自分に給与を払える(個人事業主は自分に給与を払えない)
- そこから給与所得控除・退職金・社宅・出張日当・福利厚生・保険・家族への給与の7つが開く
- 所得税法56条の壁が消えるのが大きい。生計を一にする親族への支払いが、法人なら原則として経費になる
- ただし箱が開くだけで、現金は出ていく。減るのは税率をかけた分だけという原理は法人でも同じ
- 順番は「使ってから経費にできるか考える」ではなく、先に設計してから使う
1. 根っこは1つ──個人事業主は、自分に給与を払えない
個人事業の利益は、そのまま事業主のものです。事業用口座から生活費を引き出しても、それは「事業主貸」であって経費ではありません。自分に給与を払うという概念がないのが個人事業です。
法人は、社長と別の人格です。会社が社長を雇い、給与(役員報酬)を払う。会社の側では損金になり、社長の側では給与所得になります。
この一点から、以下の全部が派生します。
| 個人事業主 | 法人(社長) | |
|---|---|---|
| 自分への給与 | 払えない | 役員報酬として損金 |
| 給与所得控除 | 使えない | 使える |
| 退職金 | 自分には出せない | 役員退職金を出せる |
| 自宅 | 家事按分で一部だけ | 社宅として会社が借りる |
| 出張の日当 | 自分には出せない | 旅費規程で出せる |
| 福利厚生費 | 事業主本人の分は落ちない | 役員も対象にできる(条件つき) |
| 生命保険 | 生命保険料控除(上限12万円) | 保険料の一部が損金 |
| 家族への支払い | 所得税法56条で経費にならない | 原則として損金 |
| 赤字の繰越 | 3年 | 10年 |
2. 箱その1・2──役員報酬と給与所得控除
法人の利益を役員報酬として社長に出すと、会社では損金になります。そして社長側では、給与所得控除が引けます。
給与所得控除は、領収書のいらない経費のようなものです。年収162万5千円までは最低額が保証され、そこから収入に応じて増えていきます。個人事業の所得には、これに当たるものがありません。
つまり同じ1,000万円の利益でも、「個人事業の所得1,000万円」と「会社の利益を役員報酬1,000万円で出す」では、課税される所得が違います。
ただしここには続きがあります。役員報酬を出すと社会保険料がかかります。しかも会社負担と本人負担の合計で、報酬の約30%です。一人社長の会社なら、会社負担も結局は自分の会社が払うお金です。
だから「全部を役員報酬で出す」が最適解にはなりません。この配分をどう決めるかは 役員報酬はいくらにするのが得か にまとめました。
3. 箱その3──退職金
個人事業主は、自分に退職金を出せません。小規模企業共済という代替手段があるだけです。
法人なら、社長に役員退職金を出せます。会社では損金、社長側では退職所得です。退職所得は、退職所得控除を引いたあと2分の1だけが課税対象になり、他の所得と分離して課税されます。給与でもらうより税負担が軽くなる仕組みです。
法人の節税で最も金額が大きく動くのが、実はここです。毎年の報酬を抑えて会社に利益を残し、最後に退職金でまとめて出す──という設計が成り立ちます。
適正額の考え方は 役員退職金の適正額、代表を退いたあとの扱いは 分掌変更で否認された会社と、認められた会社 を読んでください。
4. 箱その4──社宅
個人事業では、自宅の家賃を事業使用割合で按分します。3割なら3割です。
法人では、会社が住宅を借りて社長に貸します。社長は会社に賃貸料相当額を払う。この金額は時価ではなく固定資産税の課税標準額から計算するので、相場家賃よりかなり安くなります。差額は給与課税されません。
家賃15万円の物件で、社長が会社に払うのが月5万円というのは普通に起きます。按分の世界とは効き方が違います。計算方法は 役員社宅の家賃、いくら会社に払えば給与課税されないか にあります。
5. 箱その5──出張日当
個人事業主は、自分に日当を出せません。自分が自分に払うので、そもそも債務が確定しないからです。
法人なら、旅費規程を作って社長にも日当を出せます。会社では損金、受け取る社長側では所得税が非課税(所得税法9条1項4号)。しかも消費税は課税仕入れになります。
「損金になって、受け取る側でも課税されない」という支出は多くありません。ただし規程さえ作れば何でも通るわけではなく、金額と実態の両方が問われます。出張旅費規程の作り方 で詳しく扱います。
6. 箱その6──福利厚生費
個人事業主は、自分の健康診断もジム代も経費にできません。福利厚生費は「従業員のための箱」だからです。
法人の役員は従業員ではありませんが、福利厚生の対象にはなります。健康診断も、社員旅行も、食事の補助も、条件を満たせば会社の損金かつ本人非課税で回せます。
ただしここに大きな条件があります。役員だけを対象にした福利厚生は認められません(所得税基本通達36-29・36-30)。一人社長の会社では、この箱は思ったより狭いのです。福利厚生費はどこまで使えるか で線を引きます。
7. 箱その7──家族への支払い(所得税法56条の壁が消える)
個人事業でいちばん理不尽に感じるのが、これです。生計を一にする親族に払った家賃・外注費・給与は、実際に払っていても必要経費になりません(所得税法56条)。例外は届出をした青色事業専従者給与だけで、金額も実態で縛られます。
法人にはこの規定がありません。家族を役員や従業員にして給与を払えば、原則として損金です。所得を分散できるので、累進税率の負担が下がります。
もちろん勤務実態のない家族への給与は否認されます。過大な役員給与も損金不算入です。ただし「実態があってもダメ」という個人事業の56条とは、前提がまるで違います。個人側の話は 家族に払った家賃・外注費は経費にならない を参照してください。
8. 生命保険と、赤字の繰越
7つの箱に入れなかったものも2つ挙げておきます。
生命保険:個人は生命保険料控除で最大12万円(所得税)です。法人は、保険の種類と解約返戻率に応じて保険料の一部が損金になります。ただし令和元年6月の通達改正で「全額損金」の時代は終わっています。「法人保険で節税」は令和元年6月に終わった。
赤字の繰越:個人の青色申告は3年、法人は10年です。設備投資や創業期の赤字を長く持ち越せます。法人の赤字は10年持ち越せる。
9. 箱が増えても、原理は変わらない
ここまで7つの箱を並べましたが、勘違いしてはいけないことがあります。
1万円を経費にしても、戻ってくるのは税率をかけた分だけです。これは法人でも同じです。法人の実効税率はおおむね30%前後なので、1万円使って戻るのは3,000円。7,000円は本当に出ていきます。
法人化で本当に効くのは、上の7つのうち「もともと出ていくお金の置き場所が変わるもの」です。
| 性質 | 該当するもの | 効き方 |
|---|---|---|
| もともと出ていくお金の置き場所が変わる | 社宅、出張日当、家族への給与、退職金 | 家賃も交通費も家族の生活費も、法人化しなくても出ていく。それが損金になるので、実質的にまるまる効く |
| 新しく現金が出ていく | 保険、追加の福利厚生 | 減るのは税率分だけ。出口まで見て決める |
| 課税の計算方法が変わる | 給与所得控除 | 現金は動かない |
この表の1行目が、法人化の本体です。「節税のために何かを買う」のではなく、すでに出ているお金を、会社の損金になる形に置き換える。これが法人節税の中心にあります。
10. 順番は「使う前」に決まる
もう1つ、法人節税を考えるときの前提があります。
使ったあとに「これは経費になりますか」と聞くのではなく、使う前に、経費になる形で使う。社宅は契約名義を会社にしなければ成立しません。日当は規程がなければ出せません。事前確定届出給与は、支払う4か月も前に届出が要ります。決算賞与も、期末までに通知していなければ間に合いません。
法人の節税は、そのほとんどが先に形を作っておくものです。決算月になってから慌てても、できることはごく限られています(決算で税金を動かせるのは「決算まで」)。
同じことは、税金だけでなく社会保険にも言えます。社会保険料は「稼いだあとに決まる税金」ではなく、報酬の決め方でほぼ決まってしまう費用です。だから役員報酬を決める段階で、税金と社会保険を両方テーブルに載せる必要があります(社会保険は第二の税金)。
まとめ
- 法人化で変わる根っこは自分に給与を払えること。そこから7つの箱が開く
- 7つ=役員報酬(給与所得控除)/退職金/社宅/出張日当/福利厚生/保険/家族への給与
- 所得税法56条の壁が消えるので、家族への支払いが原則として損金になる
- 赤字の繰越は3年→10年
- ただし1万円使って戻るのは税率分だけという原理は法人でも同じ
- 本当に効くのは「もともと出ていくお金が損金になる」もの=社宅・日当・家族給与・退職金
- 法人の節税は使う前に形を作るもの。決算月に慌ててもできることは少ない
この記事の主な根拠(出典)
- 所得税法9条1項4号(旅費の非課税)/28条(給与所得)/30条(退職所得)/56条(事業から対価を受ける親族がある場合の必要経費の特例)
- 法人税法22条(各事業年度の所得の金額の計算)/34条(役員給与の損金不算入)/57条(欠損金の繰越し)
- 所得税基本通達36-29(福利厚生施設の利用等)/36-30(レクリエーションの費用)
- 法人税基本通達9-2-9(債務の免除による利益その他の経済的な利益)
- 令和元年6月28日付課法2-13(定期保険及び第三分野保険に係る保険料の取扱い)
- ※税率・控除額・適用期限は改正が続いています
- ※出典の各ページは2026年8月7日に確認しました。制度は改正されることがあります
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